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私が開院した理由

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糸島整体院では、あなたとの信頼関係を最も大切に考えています。

症状の原因をあなたと一緒に探しながら、

治癒への道のりを全力でサポートさせていただきます。



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糸島整体院こもれび院長の経歴

恥ずかしながら、

私の経歴をまとめてみました。

興味のある方は、

期待せずにw

このままご覧くださいね。


糸島市で生まれました。
糸島 マッサージ リラクゼーション
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小学校2年生から野球をはじめ、今まで野球を続けています。

長年、野球をやっていく中で「楽しいこと」「つらいこと」を

数多く経験することができました。


野球をする中で、私はケガが多く小学校5年生の頃は、

野球肘になってしまい病院にいってストレッチを教えていただき

実践していましたがなかなかよくならず

1年間ボールに触れることができませんでした。



とても悔しかったことを今でも覚えています。
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中学生時代

中学校では、地元の硬式野球チームに入り(糸島イーグルス)

野球を続けました。


しかし、ケガと私はご縁があるのか中学校2年生の頃に

腰を痛めてしまい病院で「椎間板ヘルニアという診断を受けました。


ここでも大好きな野球ができなくなってしまい落ち込みました。


病院ではレントゲンをとってくれることとシップを

処方されることだけだったので、両親の助けをかり

お灸やマッサージに通っていました。


しかし、


なかなか腰の痛みが減ることなく日々を過ごしていました。



そんなある日、プロ野球選手も通っている針治療院が

あるよという紹介を受け治療を受けにいってみました。


今でも覚えているのですが、いろいろな治療を

試していたので内心は(どうせ腰の痛みなんてとれないよ。。)

と思っていました。


が、しかし、、、

実際に先生に針をやってもらうと

何だかおなかのあたりがスッとしてくるのを感じました。

でも、(なぜ腰が痛いのにおなかに針をうつのだろう?)

14歳の私は考えました。でもわかりません。


針の治療が終わり、横になっていた私に先生が一言「胃下垂だね!」と。。。


私の頭の中は、?マークでいっぱいになりました。


しかし、立ってみるとあんなに腰を動かすと痛かった腰が

どう動かしても痛くありません。あまりの変化に、

痛い動作を探してしまったほどです。w


14歳の私は、このころから人体の不思議を身をもって体験し

体の仕組みについての勉強をするようになりました。


(本を読んだり、自分の体を使って実験もどきの遊びをやっていました♪)

高校生時代

そんな私は、そこそこ野球の技術は高かったので(笑)、

福岡県の強豪高校に特待生として入学することができました。

強豪校ということもあり、レベルの高さに衝撃を受けたことを思い出します。


高校2年生の夏の大会では、念願の背番号6を勝ち取ることができました。


が、しかし、、、

ケガとのご縁は続き高校2年生の冬に持病だった

(オスグット)という膝の病気が悪化してしまい、

手術をすることになりました。


手術は無事成功したのですが、その後の辛いリハビリが待っていました。


しかし、


人体の不思議に興味があった私は、

辛いながらも楽しみながらリハビリをしていたことを覚えています。

ここで初めて理学療法士という仕事を知ることになりました。


そして、


高校最後の夏の大会が始まったのでした。


結果は、なんと福岡県で優勝し福岡県代表として

第88回全国高校野球選手権大会に出場することができました。


福岡県大会で優勝した時の感動・喜び・幸福は今でも忘れません。


正直、サイコーでした(笑)
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甲子園では、膝の不調もあり背番号は14でしたが

3回戦まで勝ち上がり全国ベスト16に入ることができました。


憧れの甲子園でプレーできたことも一生忘れない思い出となりました。
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今は、雲の上の存在になりましたが高校時代のマー君(田中将大投手)との一枚です。身長差がありすぎますね。(笑)



振り返ってみると、小学校で肘のケガ」「中学校で腰のケガ」

「高校では膝のケガ」と本当にケガの多い選手でした。


その中で得たものは、人体の不思議に興味があり

「体に携わる仕事がしたい」という目標ができました。

そして、高校を卒業後、「国家資格理学療法士」をめざし

専門学校に通いました。


無事に理学療法士免許を取得し、

栃木県宇都宮市にあるリハビリテーション特化型病院で

勤務することになりました。

病院勤務時代

病院勤務時代は、多くの疾患の方と一緒にリハビリを行っていました。


(膝関節・股関節・腰・首・肘関節・肩関節・足の手術後の方、また脊髄損傷の方や脳卒中後の片麻痺の方など)


リハビリテーション特化型の病院だったこともあり、

本当に多くの疾患のかたとの経験をさせていただきました。


病院勤務時代、地域の方との交流会や体に関しての

お手伝いを行っていました。その中で、病院でリハビリを

受けることのできる対象の方はごく少数で、リハビリを受けたくても

受けられない方と本当に多く出会いました。

そのような方と多くお会いする中で、私にできることはないか?と

考えボランティア活動を行いボランティアでリハビリと治療の

提供を行ってきました。

ボランティアをしていく中で、日に日に自分の治療院を持ち、

多くの方の手助けがづきるといいなという気持ちが芽生えてきました。


宇都宮市で行っていたのですが、

「治療院をやるなら地元でやりたい」という強い気持ちがあり、

ボランティアで出会った患者さんには申し訳なかったのですが、

地元糸島市で開業する流れとなりました。

治療法との出会い

私は、人体の不思議に15年ほど前から興味があり

治療業界に入ってから、その興味がますます増して
いきました。

本当に、多くの時間とお金を治療技術の向上のため
費やしてきました。

カイロプラクティック・オステオパシー・PNF・

ボバース・活法・リハビリテクニック・筋肉へのテクニック・

動作分析・歩行力学・歩行理解・バイオメカニクス・・・。

など多くの概念・治療法を学びました。




そんな中、ある治療法との出会いで

人生が大きく好転しました。


「求めていたのはこれだ!」

強く感じたことを今でも思い出します。



それは、「操体法」という治療法でした。

治す・治されるという関係での治療が多い中、

自分自身にもともと備わっている自然治癒力を最大限に

引き出す・その人の体が求めていることを

見極め、治癒力を発揮する「お手伝い」をする。

もともと備わっているものを引き出す治療なので

理にかなっている。



この治療法との出会いで

ようやく私の目指す形になり

改めて、人体の不思議と素晴らしさを

経験し、困っている人・つらさや

痛みで悩んでいる人の

「お手伝い」「手助け」を今後も進めていき

出会う方々で、みんなで一緒に幸せになれるような

そんな日々を作っていきたいと思います。



現状に満足することなく、日々研究を重ねて、

勉強を繰り返し、より一層の技術の向上に励みたいと思います。

この仕事には、ここまで勉強したからこれでよし、

ということが無いように思います。

一生勉強が続くと考えています。



一人でも多くの方の、つらさを取り除くお手伝いをして、

喜んでいただけるようこれからも精進していきたいと思います。

ほかの治療院とはここが違います

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